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さつまいもの歴史

甘藷翁(いもじいさん)

御前崎のさつまいもの歴史は古く、その由来は今から240年以上も前の江戸時代中期・明和3年(1766)にさかのぼります。当時、御前崎沖で薩摩藩の御用船「豊徳丸(とよとくまる)」が座礁し、その船員24名を二ツ家の組頭・大澤権右衛門(おおさわごんえもん、1694~1778年)親子らが助けました。権右衛門は薩摩藩からの謝礼金20両を断り、3種のさつまいもとその栽培方法を伝授されました。
静岡県の遠州地方(主に遠州灘に面した県西部)にさつまいも栽培が普及したきっかけは、この御前崎の出来事からだと言われています。御前崎地区西側の海福寺には、市指定文化財のいもじいさん(大澤権右衛門翁)の碑と供養塔が建てられています。

市指定文化財大澤権右衛門翁の碑と供養塔



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いも切干といも切干じいさん

「いも切干」は自然な甘みが特徴で、子どもからお年寄りまでおいしく召し上がれる伝統的なさつまいも菓子です。御前崎市がある遠州地方では干しいものことを広く「いも切干」と呼び、特にこの地域では「キンリー」の愛称で親しまれています。冬の保存食にもなったいも切干は、北海道や東北地方に出荷され、またスナック菓子がなかった時代には子どもたちのおやつとして愛され、さつまいもを生産する農家では冬の家計を支える主力商品として作られました。その背景には、この地方で冬季に吹く寒冷な西風、「遠州のからっ風」が良質ないも切干づくりに適していることもあげられます。
このいも切干は、1800年代半ばに白羽村の栗林庄蔵が考案し、白羽地区新谷には栗林庄蔵翁の碑が建立されています。

いも切干づくりの様子(昭和50年ごろ) 白羽地区新谷に建立されている栗林庄蔵翁の碑



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戦中戦後の食料危機とさつまいも

第2次世界大戦中、戦況の悪化とともに日本国内では食料不足が深刻化し、当時の政府は工業用原材料や食料政策としてさつまいもに注目しました。昭和18年(1943)、さつまいもは食料増産の重要作物として脚光を浴び、全国の市町村に「甘藷増産技術要項」を配布して栽培を奨励し、収量調査も行いました。こうした資料も市内に残されています。
これにより、それまで救荒作物として扱われていたさつまいもの栽培技術は、戦中・戦後に飛躍的な進化を遂げることになりました。 江戸中期からさつまいもが伝来していた御前崎では、さつまいもの品種や栽培、切干づくりに独自で取り組んでいたため、戦中・戦後を通じ食料危機を無事に乗り切ることができたそうです。

戦時中のいも切干づくりの様子 甘藷増産技術要項



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